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60年の歴史 第2章

第2節 木型から金型への転換

自動車関連産業の開拓

オイルショック後の低成長で国内需要の縮小に遭遇した産業機械や自動車産業だったが、1975年(昭和50)ごろには産油国の機械輸入の活発化、円安の進展で、高品質・割安を武器に海外市場に大量に進出し始めた。人件費や資材価格の高騰で伸び悩む建設市場の動向に依存する小松製作所などの建設機械も同様で、当時すでにベルギー、アメリカ、メキシコなどに現地法人を設立しており、低成長の日本市場から海外進出を積極的に展開し始めた大手建設企業とともに海外進出にウエートを移し始め、一時的にダウンした当社の受注量も2年後には回復した。78年にはイランの政情不安を契機に第二次オイルショックが発生したが、海外にシフトしたこれらの産業に国内の不況は大きく影響しなかった。

二度のオイルショックを通して幸作社長は、小松製作所1社偏重の危険性を痛感していた。このため、高度経済成長下に飛躍的に伸びた自動車産業分野に的を絞り、積極的な営業を展開することにした。トラック主導で成長を続けてきた日本の自動車産業は、60年代後半から生産の主体を乗用車へと移行させ、本格的なモータリゼーション時代を迎えていた。66年には軽自動車を含む生産台数が220万台を超え、イギリスを抜いてアメリカ、西ドイツに次ぐ世界第3位の生産国に躍り出て以来、70年には400万台を超え、破竹の勢いで伸びていた。第一次オイルショックでは一時的に需要減から減産体制に入っていたものの、省エネ、小型化の世界的な構造変化にのって燃費効率の高い小型車を中心に急速にアメリカでシェアを伸ばしていた。

しかし、自動車産業分野へのきっかけは容易ではなかった。当社は、74年時の会社概要に、自社の特徴を「①精密度が高い、②納期を厳守する、③品質管理の徹底、④とくに金型においては、設備、技術は他社の追随を許さない」とし、品質に対する高い意識を持っていたが、具体的に目に見える形で他社と差別化できるわけではない。加えて、当時県内に自動車関連企業の進出は少なかった。64年に入善町に進出した自動車の鋳物部品を製造する新和工業株式会社(現、アイシン新和(株))、69年に小矢部市に進出した鈴木自動車工業、71年に富山新港臨海工業地帯に進出したアルミダイカストのアイシン軽金属株式会社の3社程度だったのである。したがって競合は激しく、取引にこぎ着けるまでの道のりは険しかった。

他方、二度にわたるオイルショックによって小松製作所氷見第二工場の建設に伴って進出を予定していた中央の金型企業が相次いで進出を断念。結果的に当社にそれらの仕事の多くがまわってくる形になり、オイルショックは当社にとっては禍福糾縄ともなった。

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